今日は友人のダニエルのライブだった。
もうどれだけ控えめにみても彼とはかなり打ち解けた気がする。
彼目当ての人に話の流れで俺が登場したとき「日本でみつけた兄弟」とまで言われたときは鉄化面の心意気でうなずいてやったけどさ。
そんなまさかの兄弟ことダニエルだけど最近呑みすぎなようで今日は前回よりも沈んだトーンでの演奏。その時々の調子がモロに出る演者、良いねぇ。俺はそういうのが観たいしそういうやつと仲良くなりたい。そして人類ある程度までは兄弟。
まったく気づかなかったが1時間くらい演奏してたようで。
共演の三日満月は母体バンドの表現は何度か観ているけれど三日満月自体は初めて。
ヴィオラとアコーディオンと声の編成ゆえに母体からパーカッシヴさを抜いて幽玄さをより膨らませた感じ。
小高い丘の向こうで涼しい真夜中に両手をひらいてその間にはるか彼方の満月をおさめてそいつを吐息でそっと温める、そんなユニット。
わかりにくくなってますね。
次回は5月12日(土)の17時よりカフェ&ギャラリー maruchanにて開催されます。
共演は在日ファンクのギタリストこと仰木亮彦。
さっき適当に手元にあるクリムトの画集を開いたら今まで単純な興味関心でしかなかったのに初めて描かれてる女性や幼子の目元に悲しさを見出した。
他人の文章で心が鎮まるときがたまにある。
鎮まるどころか何かがほどけそうになって逆に身構えてしまうくらいのときもある。
今さっきがそうだった。
しかも何度か目にしている文章だった。
今朝聴いたnujabesとclammbonのボーカルの曲のメインループの下降するピアノコードがずっと頭を駆け巡っている。きっと月の公転軌道の相似形だろう。
昨晩月の光に身を好きなだけ刺させながら一人で月見酒をしていたらどうにもならなくなって恩人でもある友人に電話をしたところ意外なヒントをもらったら、この数年自分に覆い被さっていた自信喪失感の正体がわかったような気がしてきた。
なんてことはない、感情の総量のあまりの多さについていけないことがもたらす防御反応でしかなかった。
ただその感情に身を任せてみるとたったひとときでさえも尋常じゃなく苦しい。
愛想良く。
馬鹿みたいな青たんだらけの話だとはわかっているけどそれはそれでそうなんだからそれでかまわない。むしろそれであるからにはそうでなくっちゃ俺様というありがたみだってちっとも湧かない。
終演後会場で茨木のりこの詩集を見つけた。
今まで日本の女性詩人はあえて読まないでいたんだけれど気がついたら手にとってページを捲る自分。
記録と記憶の間を彷徨いながら視線は常に眼前を離さないでいようとする意志を彼女という業(わざ、でもありごうでもある)を通して違った言葉の一つずつ、その流れの一本ずつ。
おそらく俺はちょっと遠い先に彼女のまなざしを捉えてしまったのだろう。思い込みの範疇で。
外からやってくるのではなく内側から発症するように胸の奥のうごめき。
借りることもできたのだけれどこれを今の自分が持ち帰って読むには余りにもことが重大すぎると察したので固辞。
そういう約四半日。
まだあのループは止んでくれない。

